因幡修次という名の妖怪の音楽~Music of the monster named Shuji Inaba~

for G-Modern

因幡さんの作品、『めこすじブギ』のなかに、”明大前には鬼がいる”というフレーズがある。
以前から、なんのことだろう・・と思ってはいたが、この方のことだった。

PSF(Psychedelic Speed Freak)Records なしには、因幡さんをはじめ、たくさんのアンダーグラウンドな作品が世の中に出ることはなかったという。

そのPSF Recordsが経営しておられたCDショップモダ~ンミュ~ジックが、2014年3月末に惜しまれつつ閉店した。
2014年6月現在、ネットショップとしては継続されているが、店舗として事務所としての場所はなくなった。

そしてPSF Recordsが制作されていた音楽専門雑誌 「G-Modern」も出版されることもなくなった。
以前から区切りである30巻を最後に休刊の予定だったのだが、それも世の中に出ることはないという。

因幡さんが依頼されていた、この最終巻への原稿を、ここに残したい。
いつの日か、「G-Modern」が復刊されることを祈って。




『歌について』因幡修次


ラジオで誰かが言っていた。
“日本は歌が下手な人でも歌手になれる”
そんなおかしな文化があると。


歌詞をメロディーに乗せて歌えば「歌」になる。
「歌」として成立する。
誰でも出来る簡単なことだ。
幼稚園に入ればお遊戯で歌を歌う。
幼稚園児でも出来るほど簡単な行為だ。

たかだかそんな簡単な行為に、どれだけの人が情熱を傾けていることか。
わたしも「歌」に情熱を燃やし続けて30数年。
追いかけても追いかけても、人生半世紀以上生きても、未だに音楽という怪物の背中が見えて来ない。

歌や音楽にはものさしがない。
オリンピックのように、タイムも距離も得点もない。
歌詞を一語一句正確にまちがえず、メロディーに忠実に完璧に歌う。
それに点数をつけるとすれば100点の歌なのか?
たしかに音楽学校では満点の歌なのかもしれない。
歌の持つ本来の意味においてはどうなのか?

「100人が1回聴く歌よりも、1人が100回聴く歌を唄う」
これはわたしの音楽人生をかけた目標でもあり、座右の銘にしている言葉だ。

“音楽学校で満点の歌”を人は100回聴くだろうか?
「上手い歌」は世の中にいくらでもある。
果たして上手い歌を聴いた人が、どれだけの感動を得るのだろうか?
そして、その感動を100回味わいたいと思うだろうか?

逆に1人が100回聴く歌とはどんな歌なのだろうか?
その歌の感動は、音楽学校で満点の歌を聴いた時のものとは、明らかにちがうはずだ。
感動の種類が別物なのだ。
心揺さぶられ、時には涙までをも誘う。
たとえそれが音楽学校では30点の歌だったとしても、人が感動する歌は、紛れもなく本物なのである。

「上手い歌」で人は心を揺さぶられるか?
「巧い歌」で人は泣けるのか?

逆説を言えば、人は本物でない限り、感動で涙を流すということは、まずありえないということだ。
人々は、その感動を、また得たいがために、心揺さぶられたいがために、自ら繰り返し聴きに行くのである。
本物の歌には、そんな不思議な誘導性や力が隠されているのである。


歌を歌う人がいる。
歌を聴く人がいる。
歌を歌える場所がある。
この三つが揃えば音楽、ライヴが出来る。

わたしもPSFレコードから作品をリリースさせていただいた。
1人の人に100回聴いていただくチャンスをいただいたのだ。
本当に恵まれていると思う。

わたしの周りにはいつも素晴らしい音楽がある。
そして、学ぶべき先駆者達がいる。
いつも刺激をいただき、勉強させられ、それが血となり肉となり、力になっている。
たくさんの背中に感謝である。


喜怒哀楽。
「喜」をテーマにしたものが歌謡曲なら、「哀」は演歌か?
「楽」はポップスか?
「怒」がテーマになっている歌はジャンルで言えば何に当たるのだろう。
あえて無理やりこじつければメッセージ色の強いフォークソングなのかもしれない。
わたしも風刺ソングや反戦歌など、メッセージに怒りを込めて歌う。

そんな中にも、いつも「感謝」の気持ちを忘れない。
いつも感謝の気持とともに歌っている。
歌を歌えることへの感謝。
自分の歌を聴いてくださる方々への感謝。
歌が歌える環境があることへの感謝。
そして、わたしを産んで育ててくれた両親への感謝である。


「何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」

平安時代の歌人、西行(さいぎょう)法師さんが伊勢神宮にお参りされた時に詠まれた歌である。
今、私達が当たり前に歌が歌えて、良い音楽が聴ける環境に感謝である。
当たり前がどれだけありがたいことか。
大震災以降、この当たり前のことが出来ず、未だに不自由な生活をされている方がどれだけいらっしゃることか。
亡くなられた方の中には、音楽が好きだった方もいらしたことだろう。
歌が好きで歌っていらした方もいただろう。
音楽を聞くことが何よりも好きな方もいらしたことだろう。
テレビで見たのだが、Jazzの店のマスターが店内に津波が押し寄せ、楽器ともども流されたと嘆いていらした。

わたし達が今、歌が歌えること。
人様に聴いていただけること。
そして、演奏出来る場所があるということ。
この三つの事柄が揃うということは、決して当たり前ではなく、奇跡的なことなのかもしれないのだ。




<交尊>

<交謝>


夜の踊り場で拾った優しき突起物
頓狂な声
慈しみの空気
交歓の予感
白い光りは繰り返し行き交う

美しい言葉は神秘と絡み
旋律は永遠で
聴覚は研ぎ澄まされ
体温は一瞬戸惑い
一体化したしじまは液体の如く

<交心>

放出された妖気と入手した幻覚
漲る霊魂は内包し
アカラサマを解き放つ
余韻は厳粛
ひとたまりもない現実との衝突

可憐な星屑は脳裏に彩りを添え
強直する心理
うろたえる感覚
静寂の呼吸
恰も強靭な物語のストーリー

癇性な時間は柔らかな真綿に包まれ
道徳を調べ
理性を解釈し
欲望は観念
幌馬車に乗ってルビコンを渡る


《交旋》


汗が交じり合った固体は十個目の結果として

かたじけなさに涙こぼるる


<慈心 ∞>

ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます




最後に4つ目の事柄として、良質な音楽を紹介するメディア。
これがあってこそ、わたし達は情報を得ることが出来る。
そして、多くの方々に、わたし達の音楽を知っていただくことが出来る。

残念ながら、この30号が最終号になるということをお聞きし、僭越ながらお礼の証として書かせていただきました。
わたしは今後も自分の歌を自分らしく、感謝の気持ちを忘れることなく、歌い続けていきたいと思います。
生悦住さんをはじめ、スタッフの皆様、長い間お疲れ様でした。

ありがとうございました。
心より感謝します。

2012年6月29日因幡修次





追記:(2017/03/01)
2017年2月27日。生悦住英夫さんが永眠された。
Twitter上では、生悦住さんとPSFレコード、モ~ダンミュージックの功績を称えるツイートがやまない。
ご冥福をお祈りいたします。

因幡さんの追悼記事:
合掌 /花々の過失 / 一夜明けた

「G-Modern」27号 (2007年6月23日発行  発行元:PSF Records)
インタビュアー:五海裕治氏