因幡修次という名の妖怪の音楽~Music of the monster named Shuji Inaba~

2016/06/04

『骨まで愛してほしいのよ』


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作詞/作曲 因幡修次

裏切りの数ほど憎しみを憶えて
探り合いながらも自分が嫌いだった
愛される覚悟と愛する勇気は
駆け引きのない物差しで自ずと答えが出た
善人ぶっても長続きはしない
命の奇跡は生きている

生まれてくるのも一人ぼっちさ
死んでいくのも一人ぼっちさ
挙苦の果てのこの星で君と出会えて
良かった


弱い者いぢめは自らの逃避だ
虐められながらも奥歯を噛み堪えた
逃げるだけ逃げても行き当たりばったり
辛くて寒い一夜を必死で乗り越えた
人生生きてりゃ泣きたい日もある
涙は拒まず流すもの

生きてく命はひとつぽっちさ
死んでく命もひとつぽっちさ
トドのつまりはこの星で君を愛せて
良かった


哀しみの全てを星の子に託し
おまえの名前を叫び続けた

生まれてくるのも一人ぼっちさ
死んでいくのも一人ぼっちさ

挙苦の果てのこの星で君と出会えて
良かった
良かった

(2014.08.03 発表)




今日で、あの日から丸2年がたった。

あの日から2、3日の記憶は途切れ途切れだ。

あの日の夕方、外出先で出れなかったスマホに、因幡さんからの留守電が残っていた。
聞いたことのない絞り出すような声で、何をおっしゃってるのかわからなかったことを覚えている。

かけ直しても出られない。やっとつながって伝えられた言葉も、返した言葉も覚えていない。
伝えられた事実は、きっと何かの間違いだから、
一人になれる時間まで、とりあえず信じないことにしたことだけは、覚えている。


あの日の夜。因幡さんはお部屋を開かれた。

一曲目は、彼が最後に遺した言葉が含まれている、apitaさんが彼に贈られた、『明日への鼓動』。

思い出話を挟みながら、あいつはどの曲が好きだったかな・・と歌詞カードをめくっては歌う。
聞かせていただきながら、お部屋が終われるんだろうかと思ったのを覚えている。
彼は、因幡さんのお歌が全部好きだったら。

ラス前は、因幡さんと彼とを結びつけた、『いのちのはからい』、
ラストは、彼が一番最初に弾き語りができるようになった曲だという、
先日のAPIA40ライブで、彼の名前を呼んでから歌われた、アンコール曲の『めろりんちょ』。

この時に歌われた『いのちのはからい』の音源がYoutubeに残っている。


そして次の日。
むさしさんは、因幡さんの一部になった。

この歌のタイトルの、あの曲のワンフレーズが含まれている理由が、
因幡さんのブログのこの記事を読んでいただけると、解ってもらえると思う。


現在、この作品は、3つのYoutubeがアップされている。

一つ目の、因幡さんご自身が、このお歌を発表された時のYoutube
二つ目の、改めて歌われた音源を元に作らせていただいた、この記事で紹介しているYoutube。
そして、三つ目の、むさしさん追悼企画を提案・実現してくださったMacky♫さんとのコラボYoutube


この作品とそれぞれの動画には、むさしさんへの思いや、思い出が一杯つまっている。

例えば、歌詞に含まれる、"星の子"というフレーズ。
これは、むさしさんが救われた『いのちのはからい』を作るきっかけとなったNさんのお母様が、
追悼のために作ってくださったお歌から。

例えば、因幡さんが愛おしそうに抱きしめているGuitarの写真。
このGuitarは唯一の形見となったむさしさん愛用のFG-421E。
FGは"フォークギター"の略なのだろうが、私は"フルーツ牛乳"の略だと信じている。

例えば、歌詞の中にある、"トドのつまり"という言葉。
これは、亡くなる少し前まで、歌詞BOTの監修M氏の助手として、
"聞いてください!ぼくはほんとうに因幡修次様と因幡修次様の歌が大好きなのです!"と
彼のあふれる思いをぶつける相手として、数か月、メール交換をさせてもらっていた
私"妖怪の宴"の別HNを示唆してくださっている。

例えば、スカジャンを羽織ってグラサンをつけたGuitarが、白波に囲まれている写真
因幡さんがネットライブされる自室の定位置にGuitarを座らせている写真

因幡さんのようになりたいと、グラサンを買って、
自室でGuitarの練習をする際につけていたというむさしさん。
ご一緒に住まわれている方々に、"食事中はサングラスを外しなさい"と怒られた話や、
黒い服とスカジャンを買って、グラサンをつけて町を歩こうとしたむさしさんを、
因幡さんが必死になって止めたことが思い出される。


むさしさんが、因幡さんに送ったメールからの抜粋

> だからぼくは誰ものまえでもできるだけ笑っていようと思うのです。
> 因幡修次様とであってぼくは笑うとゆうことを知ったのです。
> 誰かがぼくを思い出してくれるときぼくが笑顔であってほしいからです。


残念ながら私は、そして彼が大好きだった、彼を大好きだった、彼のお友達のほとんどは、
むさしさんのお顔を知らない。お写真も残っていない。
唯一、因幡さんが見られた、小さな写真に載っていたお顔を心の中に覚えておられるだけだ。

でも、私の心の中で、今、むさしさんは、いつも笑っている。

ツイキャスで、リアルライブで、
自分と同じように、因幡さんと因幡さんのお歌が大好きな方たちが一杯、
集まってくださっていることが嬉しくて。
自分が大好きだったお歌が、自分のために作られたお歌が、
他の方々にも愛されていることが嬉しくて。
因幡さんのお歌で、自分のことを知って、想ってくれるお友達が増えていくことが嬉しくて。


二つ目の動画の後奏部分で、因幡さんとともに映る電気スタンド。
動画が完成する直前に因幡さんが撮影されたYoutubeと記事を拝見して、友情出演してもらったもの。

実は、因幡さんの、そして彼を想うお友達のまわりでは、
似たような現象が、ちょくちょくというか、しょっちゅう起きる。

"ちょっといたずらしてみたのです"
むさしさんが、ペロッと舌を出して笑っている。

普通なら信じられない現象を、"またやったな~"と、一緒になって笑ってしまうぐらい、
自然と受け止めてしまうぐらい、私はまだ、むさしさんが身近にいる感じがしている。


このお歌の歌詞のように、一杯沢山の辛いこと苦しいことと戦ってこられたけれど、、
最後のほんの2年間強だったけれど、因幡さんと因幡さんのお歌と沢山のお友達に出逢えて、
笑うことを、歌うことを、生を人を大事に思うことを知ってから、
次の世界にいかれたむさしさんは、最後の2年間と、そして今も、幸せなんじゃないのかなと、
このお歌を聞かせていただくたびに、Youtubeを聞かせてもらうたびに思う。


今回、この記事に、またむさしさんのことを書いた記事に、たくさんのリンクを貼らせてもらっている。

  • キラキラ   2014/06/04
  • 追悼歌~キラキラの残映~  2014/07/04
  • 『命の音人』  2015/06/04

    もしよかったら、リンク先をたどってみてほしい。
    むさしさんのことを、覚えていてほしい、もっと知ってほしい。
    むさしさんと因幡さんとのことを、お二人の軌跡と奇跡を知ってほしい。
    そして、音楽が、人を幸せにする力があることを知ってほしい。




  • 生まれてくるのも一人ぼっちさ
    死んでいくのも一人ぼっちさ

    挙苦の果てのこの星で君と出会えて
    良かった



    因幡さんが、むさしさんに、伝えたい言葉であるだけではなく、
    むさしさんが、因幡さんに、そしてすべてのお友達に、伝えたい一番の言葉。


    3回忌の今日、むさしさんへ、あらためて。

    この星で、あなたと、出会えてよかった。
    また会おうね。